組織概要

沿革

 沖縄県体育協会の歩み


大正13年4月 民間のスポーツ愛好者により「沖縄運動協会」が結成される。

昭和5年11月 文部省や県の行政指導により「沖縄県体育協会」が設立。

昭和21年4月14日 沖縄体育協会発足。

昭和21年9月28日 全島秋季体育大会開催
厳しい占領統治下にあっても、当時の沖縄民政府の文教部、文化部と体育協会の三者の共催で「全島秋季体育大会」を行った。
戦争で、すべてを失った沖縄の若者に、スポーツを通して希望と気力を与え、戦後の沖縄スポーツの振興に大きく寄与した画期的な快挙であった。

昭和23年7月13日 「沖縄体育協会」再建発足。
本会運営の充実を図り、県内における各種体育スポーツ団体を統括してスポーツを振興し、県民の体育向上を図り、スポーツ精神を養うことを目的として沖縄体育協会が再建発足した。

昭和27年 国民体育大会に初参加。米国の施政権下にあって、第7回国民体育大会(福島県・宮城県・山形県開催)に初めて沖縄選手団・11名(陸上競技)が参加した。祖国日本から分離された状況の中において、国体参加の意義は極めて大きく、それを契機にスポーツの振興は飛躍的に進展した。

昭和32年4月6日 法人組織に移行し「財団法人沖縄体育協会」と名称を改めた。

昭和41年9月5日 沖縄県スポーツ少年団創設。

昭和47年5月15日 本土復帰により、名称も「財団法人沖縄県体育協会」となった。

昭和48年3月 「体協会館」建築完成。

昭和48年5月3日~6日 「復帰記念特別国民体育大会」”若夏国体”が開催された。この年から、九州ブロック大会(国体予選競技)を経て国体に出場するようになった。

昭和59年7月4日 「第42回国民体育大会(夏・秋季)」が(財)日本体育協会の理事会で沖縄県開催を正式に決定した。

昭和62年 「第42回国民体育大会”海邦国体”」開催。天皇杯、皇后杯を獲得し、総合優勝を成し遂げた。
(夏季:9月20日~23日、秋季:10月25日~30日)

昭和63年 県民体育大会の主会場として先島地区(宮古・八重山)における開催が決定。従来の4地区から5地区の持ち回り開催となる。

平成6年6月17日 (財)沖縄県体育協会 協会旗を一般公募し知念繁夫氏のデザインにより制定。

平成7年3月 「財団法人沖縄県体育協会史」を発刊。

平成8年5月 「スポーツ振興協賛金(ゴルフ募金)」の活動開始。

平成9年3月 沖縄県スポーツ少年団「30周年記念誌」を発刊。

 
平成10年7月 国民体育大会ユニフォームのデザイン変更(夏・秋季)。

平成10年10月 (財)沖縄県体育協会寄附行為の改正。

平成11年2月 国民体育大会ユニフォームのデザイン変更(冬季)。

平成12年4月1日 県トライアスロン連合が加盟。

平成13年1月 (財)沖縄県体育協会将来構想策定検討委員会の答針を受け、理事会において決定。

平成14年4月1日 県ダンススポーツ連盟、県武術太極拳連盟が加盟。

平成14年5月23日 豊見城市体育協会が加盟。

平成16年4月1日 県グラウンド・ゴルフ協会が加盟。

平成17年4月1日 平成17年4月1日県少林寺拳法連盟が加盟。
市町村合併(具志川市、石川市、勝連町、与那城町)により、うるま市へ名称変更。

平成18年5月25日 南城市体育協会(市町村合併:知念村、佐敷町、玉城村、大里村)が加盟。
現在、本会加盟団体は競技団体(46)、地方団体(14)、学校体育団体(3)、合計(63)

平成20年4月1日 県スケート連盟が加盟。
現在、本会加盟団体は競技団体(47)、地方団体(14)、学校体育団体(3)、合計(64)

平成24年4月1日 公益財団法人沖縄県体育協会へ移行。
「特定公益増進法人」の資格取得。

 

 

 法人組織以降の歴代会長


初代 当間 重剛 昭和32年4月 昭和37年12月

二代 渡嘉敷 真睦 昭和38年1月 昭和39年3月

三代 当間 重剛 昭和39年4月 昭和44年7月

四代 石原 昌直 昭和44年8月 昭和46年5月

五代 小橋川 寛 昭和46年6月 昭和48年5月

六代 大里 喜誠 昭和48年6月 平成3年3月

七代 吉田 正善 平成3年4月 平成11年3月

八代 金城 昭七 平成11年4月 平成13年3月

九代 稲嶺 惠一 平成13年4月 平成19年3月

十代 仲井眞 弘多 平成19年4月 平成26年11月

十一代 翁長 雄志 平成27年3月 現 在